ご利益の話
『近世霊験記』『近頃霊験記』について
当山に伝わる書物に、『近世霊験記』『近頃霊験記』があります。これは明治~大正時代当時の柳谷観世音菩薩の御利益、霊験を書き記したものです。筆録者は主に、現在の住職の祖父にあたる第二十三世興空俊隆上人です。
当時の文体ですので、難解な箇所が多く見受けられますが、内容を見ると、眼病に悩む人々の熱心な信仰の告白が記されています。中には現代の私たちからみると、にわかに信じがたい事例もありますが、当時の信心の様子が生々しく伝わってきます。
ここにその事例をいくつか現代語に直してご紹介させていただきます。
霊験話
霊験話 一 ラムネ瓶の破片が目に!愛児のために祈り続けた男性の話
明治43年6月11日、当山受付所(帳場)に突然一人の男性が来山されました。何か話そうとするも、涙を流し嗚咽して声を発することができないようでありました。慰めていると、ようやく落ち着いてきたので、その話を聞くことにしました。以下その老翁が語ったことを記します。私は大阪市西区西野田町に住む久保という者です。先月10日、次男(本年13才)が近くのラムネ製造所に行き、その製造過程を見ておりました。そのとき、突然ラムネ瓶が破裂、その破片が左目に入りました。工場にいる一同は非常に驚き、急ぎ眼医を迎えて治療しようとしましたが、眼晴はすでに石灰色となっており、どう処置することも出来ないと言われました。これを聴き両親は悲嘆にくれました。もう治ることが無いとすれば、我が愛児は一生左目が見えないということになります。どうしてこんな不運に見舞われたのかと、断腸の情、耐え難い思いでありました。
ある人より「山城国柳谷観世音は往古より霊験顕著であり、利益を蒙らない者は無い。一向専心に祈願すれば必ず虚しくなることはない」と勧告され、藁にもすがる思いで、直ちに観音菩薩の霊前に参拝しました。朝夕に「仰ぎ願わくは、慈愍を垂れ平癒の祈願を修したまへ」と祈っております、と。
今月17日(縁日)にその老人が参拝して言うには、「一心に独鈷水を頂き大悲を念じていたところ、息子の石灰色の眼晴もだんだんと清く澄んできて、ついには元通りとなって視力も回復したのです。そこで嬉しくて小躍りしてしまい、お礼にやってきたのです」と。
そして「ああ、深厚なるかな、大悲の恩!」と天地に響くほどの大声で叫んで感謝の意を表し、お供え物をして帰って行きました。(明治43年6月17日筆記)
霊験話 二 眼病を患った少年のもとを訪れた観音様
兵庫県武庫郡良元村の内字小林という所より、村田亀造(14歳)という少年が、大阪市長堀橋の○○眼科病院で三か月程治療を受けていましたが、一向に良くなる気配が無いということでした。その時ある人より柳谷観世音の利益を伝聞し、お寺に籠ろうと志し、門前の旭屋旅館に投宿し、一心不乱に観音様に祈念しました。少年は両目ともに患っておりましたが、二週間程そうしていますと、右眼は日一日と薄紙を削り取るように快方に向かっていきました。大正5年1月5日、家の用事が出来たので一旦村へ帰ることにしました。
その月の10日の夜、不思議にも我が家の門より榊木(さかき)が入ってくる夢を見ました。これは観音様がお渡り来てくれたのだと大いに喜び、翌日11日、早速当山に登り、一層熱心に心願を頼んでいたところ、24日には右眼は新聞紙の細字も明らかに読むことができました。
本人は観音菩薩のお恵みに大いに感激して、左目もご利益に預かろうと思い熱心に信心しているということです。(大正4年11月21日筆記)
霊験話 三 失明から光を取り戻した7日間のお籠り祈願
大阪府北河内郡四ノ宮村字下馬伏 増田栄次郎 51歳
同氏の告白を記載します。
氏は農業を営んでいました。大正5年4月中旬頃より病を得たので、様々な治療をしていましたが、その病気が眼に及んできました。同氏の故郷に、大阪府立病院の助手をしている人がいたので、その人の斡旋でそこで診療を受けていましたが、眼病は次第に重くなり、ついには両目失明ということになってしまいました。
医師には投薬も施術も方法が無いと言われ、一層心淋しくなって日夜泣き暮らしていましたが、親切な友人から「柳谷の観音菩薩を祈願すれば回復すること疑いなし」と聞き及びました。そこで非常に喜び翌5月5日より11日まで、お寺に籠って一心不乱に観音様を念じていました。
7日間経過の後、不思議なことに一日一日薄紙を削り取るように霊験あらわれてきたので、非常に驚き貴びました。その後再三郷里より当山へとお参りに来られるようになりました。同氏の熱心さに観音様も感銘されたのか、遂には両目共に晴眼となりました。毎月17日には必ずお参りして、何があっても観世音の御恩は忘れない生活を送っていますとの事。自分と同じ病気の人を見れば、必ず柳谷の観世音の霊験の貴いことを告げて、病人を悲嘆の淵から救おうとしているということです。
現代のご利益話(一部をご紹介させていただきます)
現代のご利益話
(一部をご紹介させていただきます)
ご利益の話
ご利益の話
我が家には、つがいのカメレオンがおり、卵が次々孵化している中、目が開かない子が生まれたのです。
生きているコオロギを主食としており、目が見えないということは死を待つのみでした。
パニック状態で警戒色になり、あちらこちらにぶつかりながら歩き回る姿が本当に可哀想で、藁にもすがる思いで、先週日曜日に参拝させて頂き、おこう水で目を拭きました。
そうしたところ、帰宅途中の車中で、ふっと目を開け、帰宅後はコオロギを目で追うまでになったのです。
今では、他の子と変わらず、しっかり食べて、大きくなって来ています。
感謝をお伝えしたく、本日は御礼参りに参拝した次第です。
本当に、奇跡とはこのことと、感謝の気持ちでいっぱいです。
<カメレオンの飼い主の方>
ちなみに、本日は私自身の目の疾病が治ったことでの御礼参りでお伺いしました。
昨年11月から、両目共麦粒腫(ものもらい)を患い、眼科で内服薬や点眼薬を処方頂くも治らず、手術を勧められていました。
それが、カメレオンのことで御礼参りをした際、私の眼病を治してくださいとお願いしたところ、完治したのです。
11月に発症してから2月まで3ヶ月、まるで治る気配がなく、腫れたままの瞼が、元に戻りました。
眼科の先生にも不思議がられました。
手術を免れ、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
ご利益の話
白内障と緑内障になってて、全く見えなくて、眼圧が通常25以下なのに53もあって薬も効かず病院で見放されました。
去年の9月ごろ雑誌で楊谷寺のことを知り毎週お水を汲みに来て洗ったり飲ませたりしてたら、眼圧が9まで下がりぼんやり見えるようになった。
病院の先生もビックリされました。
それと同時に肺がんもあり放射線治療もしてましたが、癌も小さくなって食事もぼちぼちとれるようになりました。
今でも毎週お水を汲みにこられてます
床ずれのところもこのお水で洗ったら治ってきたとのことです。(岐阜市内 17歳のシェルティ様)
ご利益の話
増殖性網膜症と難治性緑内障に悩んでいてコロナ禍前の数年前ですが楊谷寺さんに参拝させていただいた時に、おこうずいで洗眼させていただきお守りを授与していただいたところ十数回手術を繰り返していましたが参拝させて頂いてからは手術せずに済んでおります。
弱視ですが残る左目ですので観音様に感謝しかありません。(千葉県 E様)
ご利益の話
特別祈祷していただいたショコラは毎日元気に過ごしています。
食欲にムラがあり、毎食何をあげたらよいのか悩んでいたのが嘘のようにモリモリ食べています。
口の中が大きく腫れている為、介助は必要です。でも、最近は自分で食べようとお皿に顔を突っ込んでみたりしています。
十一面千手千眼観世音菩薩様のご加護をしっかりと感じています。ありがとうございます。
弘法大師様の獨鈷水も残りわずか。飲ませたり、口の腫れモノにつけたり、目薬にしたりと大切に使わせていただきました。
ショコラにはいつかお礼参りに行こうねと話してます🐾(埼玉県 S様のワンちゃん)
ご利益の話
拝啓
師走に入りお忙しい日々を過ごしのことと存じます。実は、先日偶然にもテレビで柳谷観音様を拝見しました。今から30年程前に16歳の息子が急に目が見えないと。山形の病院で京都医大を紹介されました。
その時のドライバーさんがそちら様の霊水を送って下さいました。大変有難く、それ以来遠くから手を合わせさせて頂いていてます。その息子も46歳になり、左眼が緑内障ではありますが元気に介護の仕事をさせて頂いています。いつか一度と思いながら高齢になり…本当に気持ちばかりですがお送りさせて頂きました。京都の冬も山形同様大変厳しいと思いますがお体を大切に、由緒ある柳谷観音様をお守り下さいますようお願い申し上げます。(匿名希望様)
ご利益の話
1年ほど前、上書院のご案内をしていました時に京北町から来られた方とお会いしました。
その時に近所のおじいさんが昔ここへ良くお参りに来ていたことや、ここをネットで見たことが重なって、自分も黄斑変性症を患ったのでどうしてもお参りに来たかったとおはなしをされていました。そして先日の17日にお会いできました。
『実は、あれから17日に必ずお参りに来てたの。ほんならね、ようわからんけど、治ってたの。だから瓦の寄進をしていくね。』 とお話ししてくださいました。(匿名希望様)
ご利益の話
私の父は子供の頃から目が悪く、医師からも失明の恐れがあると言われていたそうで、何度か手術も受けていました。 祖母は、父を連れて、眼の観音様として知られる柳谷さんへお参りに行ったそうです。 「山を歩いて登ったことを覚えている」 その頃父が住んでいたのは、千本鞍馬口のあたりで、まだ阪急電鉄の烏丸駅と河原町駅は開通していなかった時代、おそらく大宮駅まで出て、阪急に乗り、電車を降りてから約5kmの道を歩いたものと思われます。車なら20分かからない道ですが、歩けば1時間以上でしょう。 それだけ、柳谷さんのご利益が信じられていたということでしょうか。 柳谷さんは、平安時代の昔から、眼病に悩む人々の信仰を集めてきたそうです。その中には皇室も含まれており、それゆえに皇室ゆかりの宝物も多く残っているとか。 お参りし、独鈷水(おこうずい)をいただいたであろう、少年時代の父も、そういう人々の一人だったわけです。 おかげさまで、老齢になった父の視力が、いまでも何とか残っているのは、ひとつには観音様のご利益のおかげと思っています。 (匿名希望様)
ご利益の話
吹田市Nさんは3歳の時に息子さんが高熱を出して目を患いました。知人に柳谷観音に行ったら良いと言われそれから40年間毎月お参りし、おかげさまで眼科に通わず完治され、視力も回復し目の病気にもならず今は元気に過ごしていますと。息子さんの車で高齢のお母様と一緒に久しぶりに参りに来られました。観音様に直接にお礼を言いたかったと涙ながらに語っておられました。 (吹田市 N様)
ご利益の話
実は目の調子が悪く眼科に通い始めて検査を受けたら緑内障の疑いが有ると言われました。
柳谷さんのお水を行った時頂いて、帰って家で頂いているうちに数カ月で緑内障の疑いが嘘の様に消えたんです。眼科の先生も驚かれていました。疑いが有るとそのまま緑内障になるのですがとの事でした。 (匿名希望様)
観音様に救われた私
私は休日によく趣味のサイクリングを楽しんでおります。サイクリング歴は 45 年以上。自然の中を走りながら景色を楽しみ、訪れた場所で美味しいものをいただいたり、出会った人々と話をしたり。また写真好きなので、すてきな風景をカメラに収めるのも楽しみのひとつです。そのような趣味人の私が、かつて失明の危機にさらされたことがありました。
あれは高校3年生の夏頃だったでしょうか。ある朝目覚めたら両眼の視野が狭くなっていたのです。視野の周囲がもやがかかったようになり、そのもやは日に日に眼の中心に向かって拡がっていきました。ちょうど障子に開けた小さな穴から向こうを覗く時のような見え方、といえば想像しやすいでしょうか。自宅から少し離れた場所にある有名眼科を受診したところ、原因不明の急性視神経炎と診断され、「症状の進行が早いので、最悪の場合失明する可能性もあります」と告げられ、私は言葉を失いました。
そして数日後には、私は歩くことさえできない状態に陥りました。わずかに開いていた中心の穴が塞がってしまったのです。明るい暗いは何となく判るものの、もやの中にいるようで物が全く見えません。当然学校も休むことになり、医者からもらった薬を飲んで一日中家で横になっていました。トイレに行く時は手で壁を探りながら、ソロソロ歩いていく有り様。食事に至っては余興でする二人羽織のごとく、食べ物をうまく口に運べません。ソースやケチャップで口の周りを汚し、おかずをひっくり返したり、床にもたくさんこぼしていたそうです。
そんな時、柳谷観音さんのお水が眼病によく効くという話を父が耳にしたそうです。父は藁にもすがる思いで、夏の陽射しの照りつける中、自転車を漕いで柳谷観音さんにお水をいただきに行ってくれました。そして朝晩は父が、昼間は母が交代で、いただいたお水に浸したガーゼで私の瞼を拭ってくれました。でも私は内心、こんな水で治ったら医者はいらんやん、くらいにしか思っていませんでした。ただ、両親が熱心に介護してくれるので、そのことは黙っていました。
ところが、それから1週間も経たぬうちに症状が好転し、視野の中心から少しずつ見える範囲が広がっていったのです。原因不明と言われた時から治癒はほとんど諦めていたので、再び眼が見えるようになった時の私の喜びは、言葉では言い表せないほど大きなものでした。でも、なぜ急に回復に転じたのかは不思議で、眼科の先生も首を傾げておられました。そして、私が柳谷観音さんのお水を塗ってもらっていた話をすると、先生はただ笑っておられました。
眼が完全に元に戻ってからしばらくして、私は父に誘われて柳谷観音さんにお礼参りに出かけました。もちろん柳谷観音さんまでサイクリングです。自宅から西国街道を走り、水無瀬から山の中へ入っていくとかなりの登り坂が続きます。残暑厳しい折、ようやく山門にたどり着いたころには、二人とも汗びっしょりになっていました。それから自転車を置いて細い通路を歩いて少し登ると、お水のもらえる井戸に着きました。そこではじめて私は気づかされました。大変な思いをしてお水をもらいに来てくれた父の思いが観音さんに届いたんちゃうか、それで私の眼が治ったんとちゃうやろうか、と。そう思うと思わず目頭が熱くなったことを今でも覚えています。
あれから 40 年。柳谷観音さんといえば自転車仲間の間では、長い坂が続く登坂練習の場所というイメージが定着しています。私も時々練習で走りに行きますが、お寺の前で休憩するたびに心の中でそっと手を合わせるようにしています。観音さん、その節は大変お世話になりました、ありがとうございました。ここのお水が無かったら私の人生はどうなっていたことか。柳谷観音さんは私にとって人生の恩人さんです。 合掌(高槻市 田中様)
ご利益の話
この夏、ご家族の皆様を上書院でご案内しておりましたら、お母さまの目の話になりました。黄班変性でずっと病院に通っているんですが、ある時からどんどんよくなっているとお医者さんに驚かれましたと。「私も訳が分かりませんでなんでだろうと考えていたら息子が買ってきてくれた柳谷さんの御守りを身に着けてからだということしか思い当たる節がなく、今日お礼参りと綺麗に治してほしいとお願いをしにきました」ということでした。それから3ケ月経ち、息子さんがお参りに来られ、「治ったんですよーお医者さんも看護師さんもこんなの初めてやとびっくりされてました」とご報告に来てくださいました。
信じる力、気持ちは、本当に奇跡を起こすのかもしれません。観音様との橋渡しをつとめさせていただくことに専念いたします。 (豊中市 M様)
ご利益の話
今日上書院をご案内していましたら、ご利益話をお聞きすることができました。
西宮市にお住いのご夫婦がいらっしゃいましてそのお兄様が5年前にベーチェット病にかかられ失明の宣告を受けられたそうです。それから、ここに来てお参りし、ご祈祷し、独鈷水を頂いて帰りました。後、いつのまにかきれいに治っていたそうです。「こんなことが起こって本当に不思議だけど本当の話なのです」と語ってくださいました。
ご利益の話
高校生の息子さんがレーザーを目に当てられたそうで目の底を火傷するような怪我をされました。どこに行ってももう治療はできないと言われご両親が昔参拝に来ていた当山でご祈祷を申し込まれ半年、目が治りましたとご報告に来られました。
ご利益の話
先日玉屋のご主人から当山にお参りに来られたご夫婦のお話をお聞きしました。
奥様がドライアイで辛かったらしく、日々困っていたそうです。
ある朝、起きかけに昨年秋に飼っていた犬が出て来て「や・な・ぎ・だ・に・か・ん・の・ん」とゆっくり何度も言ったそうです。
気になった奥様が検索され、参拝に来られたという事です。
その後、ドライアイの症状は治ったとご報告がありました。
夢のお告げで参拝にこられた不思議なご利益話です。
ご利益の話
今日、吹田市よりあるご夫婦が来山されました。半年前にお子さんが眼底がやけるという前例のない症例で眼科医には治らないといわれたということでした。しかしながら、当山の観音様にお参りして独鈷水を持ち帰り願うこと半年、完治したと今日報告がありました。 そして、今日は、お礼参りと、お子さんの幸せを願い、ご祈祷され帰られました。大層喜んでおられました。その喜びを善意に代えて他の人に施していただくようお願い申し上げました。
ご利益の話
この間、わたくしの家の家具が壊れまして、修理にきていただきました。帰りに、30台半ばのその方が、遠慮ぎみにお話をされ始めまして、なんだろうと思いつつ聞いておりましたら、なんと、ご自分が保育園時代のころ目が悪く斜視もあり、ずっとめがねをかけなければいけない、治らないと医者に言われ、母と一緒にお寺に通って、観音様にお願いし、独鈷水も持って帰り、目を洗ったり飲んだりしていました。と。それで治ったんですよ。とお話してくださいました。その方の第一印象は、とてもきれいな茶色のキラキラなきれいな目をされておりましたので、とてもとても驚きました。 最近明治時代のご利益話をまとめたものがみつかったとここにも記しましたが、時間はかかりますが、近世のご利益話を集めていこうと思っております。
ご利益の話
先日、長岡京市にあります安井カメラさんとお話していましたら、社長さんのお父様が当山ご本尊さまからご利益をいただいてたんですよと話してくださいました。 当時、宮大工をされていたお父様は、先が丸くなったカンナで削っていた時に削りかすが目に突き刺さり、大けがをされたそうです。そこで、当山の独鈷水で目を洗ったり、当山に日参され治癒されたそうです。
ご利益の話
昨日参拝の方が御詠歌に使用する拍子木をお返しに来られました。その方の曽祖父さんが観音さんにご利益をいただいたというお話を聞かせてくださいました。 曽祖父さんが5歳のころ牛のしっぽが目に当たりつぶれてしまって見えなくなったそうです。そこで、山門前にある玉屋という宿屋で寝泊まりし、3年間当山で籠り、最後は、うっすらと見えて生活が普通にできるようになられたんだそうです。(旭区 山下様) 今、17日に大数珠繰りをしていますが、この大数珠は昔から当山に伝わるものでおそらくその曽祖父さんもこれに願いをかけて廻しておられたんだろうと思います。
西宮市の大塚さんよりお話をしていただきました。
私は、今、81歳です。1歳の時に看護婦さんの手違いで点眼薬を間違われ失明しました。おばあさんと月参りをして、宿に泊まり、朝から拍子木の音を聴いていたのを覚えています。 3歳の時にお風呂屋さんで手拭いを指して「てんてん」と言ったことで目が開いことがわかりました。観音さんのおかげで今まで元気でこれました。 と、大塚さんは、今は年に一回のお参りだそうです。次はぜひ17日にお参りしたいとおっしゃていました。
先日ある方がお参りに来られました。
話を聞くと、娘さんがお風呂で倒れられ意識不明になりそのまま入院されました。全く回復の見込みがなくいてもたってもおられずご両親が当山の観音さんにご祈祷を申し込まれたとのことです。 ご両親も目を患って以来当山にお参りに来られていたというお話でした。年末年始春と三回の特別祈祷をするたびに当山に朗報が飛び込み、私たちもただただ驚くばかりでした。 そして先日無事回復された娘さんとお参りに来られ泣いておられました。不思議なご利益話は、現代にも通じるものだと確信いたしました。これからも私たちが橋渡しをさせていただきます。 観音様の御心のままに。(高槻市 K様)
目が見えるようになりました
私が3歳の頃、「麻疹」の後遺症で両目の黒い部分に星が入り全く見えなくなりました。3回手術をしましたが結果は思わしくなくあきらめていた処、近所の方に柳谷観音様を教えてもらい、母と2人で100日間玉屋(昔の旅館)に宿って毎朝5時のお勤めの時に一緒に拝んでいたところ、こもってから1週間目に少し薄明りが見えるようになり、100日間のおこもりを終える頃には、ボヤーっとですが見えるようになりました。その後視力はどんどん回復し、現在はほとんど支障がありません。それから60年間ずっとお詣りしております。(大阪市 H様)
弟の目が見えるようになりました
3歳下の弟が6歳位の時、遊びに夢中になって誤って左の目に針金がささり、全く見えなくなりました。驚いて近所に阪大出の眼の医者がいらっしゃったので診てもらいもらいましたが、診断の結果は「視力は戻らない、あきらめて下さい」との事でした。その時近所の方が長い間柳谷の観音様を信仰して、お蔭を受けているので、息子さんの為に一度お詣りをし、本堂で拝んでもらい、家の井戸水を被り21日間行をしたところ、白く濁って全く見えなかった左目が見えるようになりました。お観音様の霊験を目の当たりにして、一種の寒気を覚えた事を今でも思い出します。(四条畷市 Y様)
観音様のお陰で61歳の今も眼鏡は不要です
20年以上前の話になりますが、娘が幼稚園に上がる事になり、その準備に洋服やかばん等にアップリケをして、それが全部出来上がった時にころんで左目を怪我しました。左目は相当ひどく内出血し、すぐにお医者様にかかりましたが、その時、父母が昔から柳谷観音を信仰していた関係で、母から柳谷観音への参詣を勧められ、お詣りに来ました。奥の院で、その当時のご住職から治してあげましょうと言って顔に手を当てていただいた温もりは今でも忘れません。その後、1年位毎日お薬と併用して独鈷水で目を洗っていたところ、完治し、以後もずっと調子がよくて、61歳になった現在、眼鏡も不要で観音様のお力だと非常に感謝しています。(奈良市 K様)
筋無力症のまぶたが良くなりました
ひ孫(4歳)が数年前から筋無力症(眼腱下垂)になり、まぶたが下がってきました。医師の治療を受けましたが、思わしくなく、困っていたところ、柳谷観音の事を聞き、御祈祷をしてもらい、独鈷水をいただいて帰り、毎日目を洗ったところ、まぶたの下がるのが、徐々に止まり、今では完治し、今年の春から元気に保育園に通っています。感謝の気持ちを込めて、お礼詣りに参りました。ひ孫の母親も毎月お詣りさせていただいております。(京都府 O様)