2016/4 寺宝展 橋本関雪「湖光帆影」

日付:
2016年05月20日
カテゴリー:

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4月度は、書院にて、橋本関雪「湖光帆影」を展示いたしました。

雪は明治16年に現在の神戸市中央区出身で、和歌、詩書に親しみ、17歳の頃に画の道を志す。画号の「関雪」は藩お抱えの儒学者であった父・海関が平安時代の貴族、藤原兼家が雪降る逢坂の関を越える夢を見、その話を聞いた歌人の大江匡衡が「関は関白の関の字、雪は白の字。必ず関白に至り給ふべし」と夢占いをしたという故事から名付けられた。
同作は古典の系譜を踏襲するものであり、絵を写実から解き放ち、画家の主観を重視する新しい傾向「新南画」のはしりで、湖光と帆影が絶妙に表現されている。
また昭和6年に出版された文献「関雪外史画集」(吉田文治、更正閣)に掲載されている同作。調査によると、当時の持ち主は大阪の中央卸売市場設立に奔走した魚問屋の「大万」の番頭であった入江勘三郎氏だといわれている。大正8年改正の「日本書画家評価一覧」(石塚猪男、大阪市)によると、関雪の参考価格は90円。1990年に大手オークション会社で猿が描かれた関雪の掛け軸が2億3千万円で取引されたこともあり、いまもなお各地で展覧会が開催されている。

主席学芸員      上坂 美江

■橋本関雪(はしもと・かんせつ、明治16年11月10日-昭和20年2月26日)。日本画家。父から漢学を学び明治36年、竹内栖鳳の竹杖会(ちくじょうかい)に入り大正2年と大正3年の文展で二等賞。大正5年と大正6年の文展で特選を受賞。帝展審査員を務め昭和9年12月3日、帝室技芸員に選ばれる。昭和10年に帝国美術院、昭和12年に帝国芸術院会員となる。昭和20年、建仁寺襖絵を製作。昭和20年に没し画号の由来となった逢坂の関のあった滋賀県大津市の月心寺の墓地に眠る。
【代表作】
意馬心猿(1928年) 京都国立近代美術館蔵
長恨歌 (1929年) 京都市美術館蔵
玄猿  (1933年) 東京芸術大学大学美術館蔵
暮韻  (1934年) 宮内庁三の丸尚蔵館蔵
唐犬図 (1936年) 大阪市立美術館蔵
防空壕 (1942年) 東京国立近代美術館蔵
香妃戎装(1944年) 衆議院蔵